"Thirty-six views of Mt. Fuji/Inume Pass in Koshu Province " Hokusai Katsusika
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犬目宿(いぬめじゅく)という少し変わった名前の宿場町は、日本橋を出発して内藤新宿から甲州街道を進み、武藏国、相模国と通り抜け、甲斐に入国してから三つの宿場町を過ぎたところにあった。
日本橋から数えて21番目の、犬目峠に近い急峻な山間の小さな宿場町である。
慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いのあと、徳川家康は全国の街道整備に着手するが、まず最初は慶長6年(1601)に東海道に宿駅伝馬制度を敷いた。
宿駅伝馬制度とは、街道に適当な間隔で宿場と乗継ぎ用の代馬を整備し、交通・通信のインフラを制度として確立したものである。 甲州街道の犬目宿辺りは整備が遅れ、正徳3年(1713)になって一村全体を宿場町とした。
宿場町としての規模は小さく、文化11年(1814)に成立した地誌『甲斐国志』によれば、犬目村は石高81石、戸数61戸、人口293人、馬20頭と、山間の物成(ものなり)の少ない寒村であった。
例えば遠山金四郎・遠山家の知行地が500石であったから、その格の低い旗本の知行の6分の1ほどの米の取高しかない貧しい村であったことが判る。
因みに、犬目村の石高81石から租税を引いて村民1人当たりの分量に換算すると、炊いた白米で、1日にお茶碗に軽く1杯程度になる。
勿論、一村挙げて宿駅伝馬を担ったのであるから租税の減免や宿賃の収入などがあっただろうが、生きていくには余りにもの貧しさである。
この貧しさが英雄・犬目兵助を生み出すこととなった。
当時、天保年間の初め頃から凶作が続いて米価が高騰し、ついには天保7年(1836)8月、甲州騒動と呼ばれる百姓一揆が勃発した。
犬目兵助(40才)は下和田村次左衛門(73才)と共に、郡内42ヶ村の困窮農民が決起したこの百姓一揆を指導した。
次左衛門は捕らえて獄死したが、兵助は磔刑の宣告を受けるも、北陸、近畿、中国、四国など全国各地を放浪して逃げ延び、上総木更津に身を隠した後、晩年になって犬目村に戻り71才で亡くなっている。
兵助のこの物語にはどうしても触れておきたい事がある。
一揆は用意周到に計画され、8月20日に郡内42ヶ村の農民が白野宿(大月市)に集結して決起した。
兵助には女房子供があったが、罪が妻子に及ばないように前もって8月15日に離縁状を認めている。 妻の「里ん(りん)」は39才、娘の「たき」は生後6ヶ月。
この妻子を貧しい村に残して一揆に身を投じた兵助の心情はいかばかりであったろうか。
今日の薄汚い心根の政治家や官僚たちに、犬目には兵助の墓があるから詣でてこい、と言いたい気分になる。 この離縁状は逃亡日記と共に兵助の生家である犬目宿『水田屋』に今も残されている。
立派な筆跡であり、学問もあって村の指導的立場に立てる人物であった事がうかがえる。
もう一つ話がある。
兵助は晩年に犬目村に戻って暮らしたが、恩赦という制度があって晴れて無罪放免になった訳ではない。 捕らえられれば磔刑に処せられる。のみならず匿った者も同罪であったろう。
村人たちは命を賭してこの村の英雄を匿ったのである。
この貧しい寒村には、かくの如く人間性豊かな物語が村の宝として今に語り継がれているのである。
この時代に生きた人びとの美しい精神と強固な絆を示して余りある。
兵助や兵助を匿った村人たちのような自己犠牲の精神は、もはやこの国には滅びてしまったのだろうか。 長年、アフガニスタンに身を捧げ、2019年に殺害された医師中村哲さんのことが思い起こされる。 彼もまた、貧しいアフガンの農民たちの英雄である。
さて、犬目というやや変わった名前について考えてみたい。
「犬目」の由来については地元の郷土史研究家たちも知らないらしい。
皓星社の隠語大辞典によれば、鎌倉中期の建長4年(1252)に成立した『十訓抄』(じっきんしょう)という教訓説話集には、大納言源俊明は何事にも涙を流さないほど非情なので「犬目ノ少将」と言われた、という記述があるらしい。 私は原典を調べてないが、犬目という言葉が「冷酷で血も涙もない」というような意味で使われているようだ。
犬目峠は急峻な山間を通る難関で、途中には「座頭ころがし」という難所がある。
目の不自由な旅人がこの難所にさしかかって転落死した言い伝えがあり、昔は目の不自由な方を「座頭」と言ったのでここをそう呼ぶようになったようだ。
「座頭ころがし」を過ぎると犬目宿に入るが、険しい犬目峠を経て「座頭ころがし」に至る道は飢饉が起これば盗賊が出没するような場所。
この貧しい寒村をそこまで苦しめなくてもよいではないかと、悲痛な村人の声が聞こえてくるようだ。
村人たちはこの土地の非情冷酷さを恨みながら、『十訓抄』から「犬目」を援用してここをそのように呼ぶようになったのではないだろうか。
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