1/2

"Thirty-six Views of Mt. Fuji/The Lake of Hakone in Sagami Province" "Hokusai Katsushika"

¥3,300 税込

別途送料がかかります。送料を確認する

この商品は海外配送できる商品です。

富嶽シリーズの中で最もデフォルメされた風景画ではないだろうか。 この図の雰囲気に近い作品に『富嶽三十六景 甲州三坂水面』があるが、その図には幾つかのトリック(詳しくはこの図のコメントを参照)が使われているとは言え、写実の姿勢からは逸脱してない。
この図をじっと見続けていると、何かしらメルヘンチックな物語の入口に立っているような気分になってくる。 丸められた山の姿、杉林の誇張と単純化、大和絵風に定型化されて棚引く霧、人っ子ひとり描かない静謐。 北斎はこのデフォルメをどんな意図で仕掛けたのであろうか。
いずれにしても、北斎の富嶽三十六景シリーズは「人びとの暮らしの姿」を描くことにその主題があるのではないか、と思えるほどに様々な人びとを登場させるが、人の姿が見られない図は珍しい。
 
「箱根湖水」とは実は芦ノ湖のことで、当時はほとんど固有名詞的に使われていたようだ。
秋里籬島が寛政9年(1797)に『東海道名所図会』(6巻6冊)と言う地誌を刊行した。 挿絵を担当したのが丸山応挙、北尾政美など30人の絵師と言うから、当時としてはかなりの豪華版ではなかったろうか。
その『東海道名所図会』の「箱根湖水」の項に「一名葦の湖といふ 富士八湖の其一也 箱根の山嶺にあり 長さ三里許(ばかり) 巾一里余」とある。
歌川広重の『東海道五十三次』にも『箱根 湖水図』の名があり、二子山の山裾の坂道を登る大名行列が描かれている。 坂道は東海道でそのまま進むと小田原に至る。
 
左手の三国山の向こうに冠雪を白く際立たせた富士を置き、右手にはこの図を決定的に印象付けて、極端にデフォルメされた駒ヶ岳。 標高1300m余りの山に対して杉木立が何と大きいことか。 駒ヶ岳の山裾の手前には箱根権現(箱根神社)が杉林の中に佇んでいる。 屋根の形が寺社の典型的な「入母屋造り」だから、箱根権現の社殿であることが解る。
そして権現の裏に二こぶに描かれた低い山は二子山ではなかろうか。 右端に見られる屋根の一群は当時の箱根の中心地で関所のあった、東海道五十三次10番目の箱根宿であろう。
ともあれ、北斎が箱根芦ノ湖の図をこのように仕上げた理由は何であるのか。
箱根権現は非常に歴史が古く、由緒のある神社であったので、尊崇の気持ちを込めて独特の雰囲気のある図に仕上げたのではなかろうか。
箱根権現にまつわるエピソードについて少し触れたい。
 
箱根権現は「権現」という神号概念が成立する以前から、何らかの土俗的信仰対象の場所だったと思われる。 現在に続く祭祀には道教の祭式の名残が見られると言うから、道教が日本に流入した4世紀頃にはすでに信仰対象が具体的に存在したのではないか。
土俗的山岳信仰が「修験道」という独自の宗教の形になる頃には、この場所は既に信仰の拠点となっていたと考えていい。 
 
『筥根山縁起并序』という古文書を現在の箱根神社が所蔵している。
箱根山開山縁起を記した巻物で、鎌倉時代の建久二年(1191)に作られたものだが、原本そのものはなく、室町時代の写本である。 この巻物については、立教大学日本文学会の大久保あづみ氏による、--『筥根山縁起并序』を中心に--と言う研究論文もある。
これらによると、箱根権現の実体が年代的に明確になるのは、天平宝字元年(757)に万巻上人(まんがん)が芦ノ湖畔に里宮(さとみや~山裾の村里にある社殿のこと)を建立した、と言うあたりからである。
万巻上人は箱根山第四代で、それより三代前に聖占仙人という人物が駒ヶ岳山頂に神仙宮を開いた、と言う辺りの話になってくると、もはや山岳信仰時代の神話に近い。
 
この権現は鎌倉時代以降の武将たちが崇拝し、たくさんの宝物が奉納されていたが、豊臣秀吉が北条氏政一族を滅ばした、天正18年(1590年)の小田原攻めで箱根権現社は消失し、宝物は十分の一になったらしい。
現在の箱根神社には、源義経が奉納したと言われる太刀「薄緑丸」と、木曽義仲ゆかりの大太刀「微塵丸」が残っている。
 
箱根権現と北条早雲との関わりも深いが、詳しくは司馬遼太郎の早雲一代記『箱根の坂』を一読されたい。 早雲が大森藤頼の居城小田原城を攻めたとき、鹿狩りと称して箱根山中に兵を埋伏した。 そして牛の角に松明を結わえて、箱根山中から小田原へと牛の大群を駆け下らせて軍勢に偽装したのは有名な話。
その時の箱根権現別当は、大森藤頼の弟説がある大森海実で、その後を早雲の四男北条幻庵が引き継ぐ。
本題と関係ないが、早雲の妹(司馬は恋人に見立てている)が駿府の今川氏に嫁いで北側殿と呼ばれ、その孫が信長に桶狭間で討ち取られた今川義元である。 
最後にまた姑のあら探しを一つ。この画題もまた彫師が「相州」を「相列」と間違い彫り。

商品をアプリでお気に入り
  • 送料・配送方法について

  • お支払い方法について

¥3,300 税込

最近チェックした商品
    同じカテゴリの商品
      セール中の商品
        その他の商品