1/2

"Thirty-six Views of Mt. Fuji/Tea house at Koishikawa, The morning after a snowfall" "Hokusai Katsushika"

¥3,300 税込

別途送料がかかります。送料を確認する

この商品は海外配送できる商品です。

この図は富嶽三十六景シリーズの中で唯一の雪景色を描いた作品です。
この画題もまた彫師が本来は「旦(あした)」の字を「且(か)つ」の字に彫り間違えている。正しい画題の漢字は『礫川雪ノ旦』です。
   
東京の小石川(文京区)はもともとは礫川(こいしかわ)と表記されていた。
古い時代のこの辺りは江戸川が蛇行して流れ、一帯に河原の礫(れき、小石の意味)の多い場所であったところから来た地名と思われます。    
また、高台の多い場所で、中でも文京区春日一丁目の牛天神北野神社の高台(と言うより当時は小山に近い)の近くを神田上水が流れ、その向こうには江戸川や小石川後楽園(水戸徳川家初代藩主・徳川頼房が築いた庭園で、黄門様・水戸光圀が仕上げた)が眺められた。
さらに遙か南西の方角には富士山の優雅な姿が見られ、牛天神はいわば景勝の高台であったようです。
   
北斎が富嶽三十六景を仕上げた頃とほぼ同時期に、斎藤月岑と言う人物が江戸の地誌『江戸名所図会』を7巻20冊で刊行している(国立国会図書館デジタルコレクションで全冊がご覧になれます)。
その「巻之四第十二冊」の中の「牛天神社・牛石・諏訪明神社」には、牛天神の高台の図が描かれています(この図は後でアップします)。
この図をよく見ると「楊弓(弓の射的)」や「茶や」の注釈のついた建物があり、この場所が遊興の場所でもあったことが分かります。
また、この図に見られる注釈「牛石」は、今でも牛天神北野神社の境内に「ねがい牛」として祀られています。
「牛石」のあった、北野神社北側の坂道は「牛坂」の名の史跡として残っています。

『礫川雪ノ且』の図は牛天神にあった茶屋を描いているものと思われる。
この版の初摺りは雪晴れの青々とした空で仕上げられ、後摺りでは一面の雪景色に映える朝焼けの空で仕上げられています。
本図は後摺りの版です。
一部には後摺りを「富士の背景が夕日に変えられている」と解説するものもあるが、それでは画題の意である「雪の朝」を無視する事になってしまう。
とは言え、富士山は茶屋から南西の方角にあたるので、その南西の空が朝焼けすると言うのもやや難があります。が、興ざめになるのでこの考証は止めにしましょう。

見渡す限りの銀世界。江戸川の彼方には雪衣を纏った優美な富士が見える。
人びとは早朝より茶屋に来て、雪見酒を楽しんでいるのであろうか。あるいは当時、茶屋で宵越しの酒を楽しむようなことが出来たのであろうか。
茶色の着物を着た女中のひとりは膳部を捧げ持ち、もう一人の女中は、想像するだに晴れ晴れとした雪景色の空を指さしている。
指さす空には三羽の鳥が舞っている。この舞い方は鳶に違いないが、その特徴的な舞い方によって朝焼けの空は広々と拡げられている。
歓びの空気が満ちあふれている様に感じられる作品である。

商品をアプリでお気に入り
  • 送料・配送方法について

  • お支払い方法について

¥3,300 税込

最近チェックした商品
    同じカテゴリの商品
      セール中の商品
        その他の商品