"Thirty-six Views of Mt. Fuji/Goten-yama-hill, Shinagawa on the Tokaido" (Additional 10) "Hokusai Katsushika"
¥2,700 税込
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この作品は「裏富士」と通称される追加出版10作のうちの1枚です。
御殿山とは、今の品川区北品川にある東京マリオットホテルの一帯の高台を言った。
江戸時代には桜の名所として有名で、この桜を題材にして多くの浮世絵師たちが作品を残している。
中でも歌川広重が多作で、他にも歌麿、豊国、鳥文斎栄之などがあり、歌麿のものは『御殿山の花見駕籠』三枚組で、お姫様の花見を題材にした艶やかで豪華な作品です。
昔、御殿山には城があり、太田道灌が江戸城に移る前には、その御殿山城に居住していた。 徳川家康が江戸城に入ってから御殿山城は「品川御殿」と呼ばれ、歴代将軍の鷹狩の際の休息所や茶会の場所として使われていた。
品川御殿は元禄15年の大火災で焼失し、その後、再建されなかったが、御殿山には寛文年間(1661年~1673年)から桜が移植されはじめ、600本余りもの桜の名所となった。
斎藤月岑による江戸の地誌『江戸名所図会』(巻之二第四冊、国立国会図書館デジタルコレクション)にも『御殿山 看花』の図があり、武士、町人を問わず行楽している様子が描かれている。
この御殿山は幕末になると、外国船の襲来に備えた品川御台場(砲台をお台場と言い、今日のお台場がそこです)建設の埋め立てのために切り崩され、山と言うより高台になってしまった。
またその後、幕府は英国など諸外国の公使館を御殿山に建設することを計画した。 しかし、文久2年12月、完成直前のイギリス公使館は高杉晋作や伊藤俊輔(伊藤博文)らの焼打ちに遭い全焼した。
桜が咲き誇る高台から眺めれば、春の明るい海が広がる彼方に冠雪をかなり残した富士が見える。
御殿山から見える海は品川沖と呼ばれ、菱垣廻船や樽廻船などで賑わったので、他の絵師のほとんどが「お約束」のように、密集して浮かぶ帆船を描いているが、北斎はこれを敢えて省いている。
遠景に富士、近景には桜とめいめいに楽しむたくさんの人びとが描かれているこの図の海に、帆柱を林立させて船を描き加えると絵そのものが台無しになってしまう。
あれ程、写実に拘る北斎が、大胆にも品川沖に付きものの帆船を省いてしまうところに、彼の天才を感じますね。
武士、町人を問わない人びとはそれぞれに花見を楽しんでいる。この図にもまた、人びとの暮らしの物語が北斎によって生き生きと描かれている。
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