"Thirty-six Views of Mt. Fuji/Pleasure District at Senju " Hokusai Katsushika
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この図は江戸四宿のひとつ千住宿から不二を眺めた図である。
江戸四宿とは日本橋を起点とする五街道の最初の宿場町を言い、東海道が品川宿、甲州街道が内藤新宿(現在の新宿)、中山道が板橋宿、そして奥州街道と日光街道(宇都宮宿に至って両街道は分岐する)が千住宿の四つ。
この図を語るのに江戸四宿から話を始めるのには訳がある。 画題に「花街」の文字があるからだ。
花街とは現代風に言うと、いや、もはや現代風の言い方でもないが、芸者屋(置屋とも言う)・待合茶屋・料理屋を「三業」と言い、これらが集められた場所が「三業地」で、ここを花街と呼んだ。
この江戸四宿にはその花街(幕府公認の新吉原以外は岡場所とも呼ばれ、建前上、非公認の遊郭である)があり、それぞれに賑わった。
さて、この図の画題「従千住花街眺望ノ不二」のことである。
この花街を、「新吉原」とする解釈と、千住宿の岡場所とする解釈とがある。
まずこの画題をどう読むか、漢文風の返り点の置き方によって、二通りに読めるであろう。 「千住花街従(よ)り眺望の不二」と「千住従(よ)り花街眺望の不二」である。
後者の読み方では「花街」に画意の力点があるように感じられて不自然である。 主役は不二であって花街ではない。 素直に読めば前者の読みが正しいであろう。
従って、画意は「千住の花街より眺望した不二」と解釈すべきであり、この花街は新吉原を描いたものでない、と私は考える。
更に言えば、画題は当然のことながら単なる文字ではない。 作者の作画意図が込められている。 だから私は画題の解釈の拘る。
この点、この富嶽シリーズの解説の中には少なからずその解釈をおざなりにして、結果、図に込めた北斎の意図を見過ごしているものが少なからずある。
例えば『深川万年橋下』図の画題が単に『深川万年橋』ではなく、『下』の文字を付け加えているのには北斉の作画意図があるはずだ。 そこを読取らないとこの図は単に「構図が面白い」で終わってしまう。
この図には遠近法の消失点が二つある矛盾ゆえに、万年橋下が広々と表現されている事は以前に投稿した『深川万年橋下』で触れた。
万年橋上には多くの人が行き交う賑わいがある一方で、広々と描かれた万年橋下にもまた荷船が行き交う賑わいがあり、釣りを楽しむ日常の姿が有り、そこから富士もまた眺められる。
すなわち北斉は富嶽シリーズの多くの図に人びとの暮らしの姿を描き込んでいるように、この図にも、「日の当たる」橋の上ばかりでなく「日の当たらない」橋の下にも人びとの暮らしがあり、ここからもまた富士が見える、そう言う日常とそこに生きる人びとへの情愛を描き込んでいるのである。
絵画には当然、表現したい何かが描かれているが、作者の目線や人格や思想性までをも考慮しながら観ないと、単なる技法の評価に終わってしまうのではないか。
絵画とは作者の生き方の投影であり、思想の表象であり、作者自身の分身でもあろう。
とりわけ北斉は一個の思想家であったように思えてならない。
話が大袈裟になってしまった。この図のことに戻ろう。
図の構成的な意図から見ても、「あの名の通った江戸四宿のひとつ、千住宿の賑やかしい花街の向こうに不二が眺められる。 参勤交代の役目を終えて東北のどこかの領国へ戻る大名行列。 江戸を去る人びとの表情には、その花街、いや花街に象徴される「江戸」へのある種センチメンタルな空気が漂っているようにも見える。 この千住宿を過ぎればいよいよ江戸ともお別れだ。 お国の家族のもとに帰る嬉しさもありながら、江戸の華やぎを後にする寂しさもある。」とこの図をみたい。
「江戸」に入るときも、「江戸」を去るときも、奥州街道や日光街道を旅する人びとには千住宿までが感覚的に「江戸」なのである。 「朱引」については『下目黒』の解説でも触れたが、行政区分的にも千住までが「朱引内」即ち「江戸」なのである。
単身赴任の多かった江戸参勤の武士たちの心情を、参勤交代の大名行列に仮託して見事に表現している。 北斎の風景画の真骨頂で、図の中に物語を忍ばせる抜群の才能と言える。
畦道に憩う二人の農婦の屈託のない姿が、彼女たちの日常の「江戸」と、参勤の人々のつかの間の「江戸」との物語的コントラストを暗示して見事である。
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